「国単位の秘密」とは何かの定義を定めるのは至極難しい問題である。
範囲を狭め過ぎれば意味を成さないし、範囲を広げすぎれば情報/言論統制につながる。
もう数十年以上も前からか、日本は「スパイ天国」だという話もある。
数年に1回は自衛隊幹部が他国のエージェントに情報を洩らして逮捕などという話も聞く。
自衛隊は組織の性格上情報漏洩には厳格な処罰があるが、他省庁はそういう話を聞かない。厳格な処罰が明確な自衛隊員ですらこういうことがあるのだから他省庁では何をか言わんやである。漏洩した情報が不利益をもたらす分野は今や国防/軍事にとどまらない。一方で情報が秘密であることを利用して私服を肥やす馬鹿も後を絶たない。
情報公開が国・経済の発展に寄与することは疑いのないところではあるが、何でもかんでも公開したらそれこそ後で馬鹿を見る羽目にもなる。
では隠すべき情報/公開すべき情報の境界はどこ?と問われて即答できる人間はおそらく居まい。居たらそれはあまり深く物事を考えていない人間だ。持論を展開するのは別にかまわないが、それが唯一正しい/同調しないやつはアホだ とか言い出したらその人物の発言はもう耳に入れるに値しない。秘密にすべきか公開すべきかは、評価する人の立場/時勢によって浮動する。
「秘密を保護する法案」と聞いただけで脊髄反射で反対を喧しく唱えるマスコミにはうんざり。こういう馬鹿は上記の境界のことなどなんら考えていない。
しっかり考えた上で「これらのことは秘密にすべき」「これらのことは公開すべき」と境界を明確にした上での話ならば一考の価値はある。ただしあくまで「一考」であり、鵜呑みにするのはあまり関心しない。
太平洋戦争時の情報/言論統制に絡めて「表現の自由」を唯一無二の真理として盲信/喧伝する輩も、上記の境界については明確な定義を持ち合わせていない者がほとんどだろう。唯一明確な定義があるとすれば「自身が直接的な不利益を蒙るか否か」である。文学/漫画表現であれ、のぞき趣味と変わらない不快なゴシップ記事であれ。
批判されるべきはこの法案ではなく、境界を明確に定義しない政治家/官僚とマスコミである(定義も法案の一部だと言ってしまえばそれまでだが)。
「秘密」という価値観が浮動するものを如何に明確に定義するかが腕の見せ所ではないか。それが出来なきゃ一から出直せ。政治家も官僚もマスコミも。
0 件のコメント :
コメントを投稿